万物春めいてくる時期に、物憂い気持ちを経験したことがないだろうか?
二十四節気のひとつである「雨水」。降る雪が雨に変わり雪も溶け出そうという時期なのに、なんだか気持ちが引き立たない。三寒四温で自律神経は乱れ、季節の移ろいに身体がついていかない。
やがて訪れる慌ただしい年度末と、その先にある何かと変更の多い新年度が心にのしかかる。気晴らしに梅見にでも行きたいが、本調子でないので寒空の下、出掛けて行くのは……。
そんな時は家で「ひとりお茶会」を開催してみる。
まず、先日買ったお香を焚いてみよう。箱の開けて匂いを嗅いでみるとベースの白檀の香りが強めに来るが、火をつけるとその主張は弱まる。しかし品良く香りが漂ってくる。
一度部屋を出てまた戻ると、今度は甘さをはっきりと感じ、火が消えた後の残り香はバニラを思わせた。
この奥ゆかしさであればこの後のお茶とお菓子を邪魔することもない。
続いて紅梅のカードを出す。この飴のように艶やかな紅の色に心つかまれ、本来はグリ-ティングカードだが、飾る為に購入した。
若い時にはわからなかったが、いつからか極寒の中つぼみを膨らませる梅に畏怖の念を抱くようになった。この絵に描かれた梅もやはり冷たい雪に耐えたからこそ、この色を出せたのに違いない。
さて、そろそろお茶の用意をしよう。
一辺のふちがほんのりと桜色に染められた懐紙。先ほどの蠱惑的な紅梅とは対照的で、こちらは守ってあげたくなるようなか弱い印象だ。しかし触れてみると結構強さのある紙で、思いのほか折り応えがある。一度使ったらもう2回くらいリサイクルしたいような丈夫さだ。
懐紙としてこの世に生を受けて、一度お菓子に敷かれただけでその生涯を閉じるのはあまりに勿体ないのではないか? いや、練り切りの餡などがこびりついたまま、じりじりと生き残るより、花道を歩き終えたら潔く散っていきたいのだろうか。それが“懐”紙の本“懐”というものか……。
そんなことを考えながら鶴の形に折っていく。
皿に懐紙を敷いてお菓子を載せると、家にあった貰い物のカステラとあられもなんだかよそ行きの顔になった。そうそう、懐紙にはこういう衣装みたいな力があるんだった。
アンティーク風の茶器にコーヒーを注いで和洋折衷にしてみる。
一瞬手を合わせたらすぐさまカステラを頬張る。ここまでの準備でお腹が空いているので、お行儀など気にしていられない。あぁ、どっしりと密度のあるカステラがしっとりと幸せにしてくれる……。所詮私は「花より団子」、認めよう。コーヒーもカフェイン抜きだというのに苦みがちゃんとあってキレがいい。
こうして最近、日本橋の「榛原」で手に入れた雑貨3点によって、自室が“嵯峨野の和風喫茶”に変貌し、得も言われぬ充足感を得ることができた。
こんな風に“なんだか怠くて気が晴れない”という試練を乗り切ったりしているうちに、心晴れる本当の春が来るに違いない。
試練の合間の楽しみは心躍る色で彩ってみたいものである。