榛原の黄色いぽち袋を見かけたとき、幼いころの記憶が蘇った。
その頃、私は毎年夏に1週間程度、東北にあるおばあちゃんの家に母と一緒に帰省していた。冬は寒さが厳しいので年に一度だけ。
関東で暮らす私と住んでいる東北の田舎から一歩も出たことのないおばあちゃん。
めったに会わないうえに、話す言葉が全然違うこともあってか、1週間の滞在期間でも、あまり多くを話すことはしなかった。いつも家にいて、自分のペースを崩さない。一緒に出掛けるとしてもお墓参り程度。
でも初孫だったこともあって、一番かわいがってもらったと思う。母も出掛けて2人きりの時には、不安にならないように近くにいてくれて、おやつにこっそりジュースも出してくれた。
そして毎年、帰るときには「年に1回しか会えないからね」とお小遣いをくれた。
ある朝の明け方、ひとり早く目が覚めた。
すると隣の部屋から、おばあちゃんの声がした。
「これはしほちゃんの。こっちはみっちゃんの。こっちはかずやの…」
私やいとこ達の名前を呼びながら何かをしていた。
そーっとそのまま聞いていると、どうやら帰りの日に渡す「お小遣いの仕分け」をしているようだ。
なんとなく聞いてはいけないものを聞いてしまった気持ちになりながら、私はそのまま寝たふりをした。
そして、帰る日の朝、おばあちゃんが「はい。これ、お小遣いだよ。しほちゃんは一番お姉ちゃんだから最初ね」と、手渡してくれた。
手渡されたのは、私の好きな黄色の折り紙できっちり折られた包み紙。
いとこ達の中では一番上だけれども、ひとりっ子の私は、お姉ちゃん扱いをされたことがこそばゆくて「ありがと」と返すのが精一杯だった。
年に1回しか会わない、言葉も多くは交わさない。
けれど、「折り紙で包んだお小遣いを手渡しする」ことは、おばあちゃんなりの愛情表現だったと今では思っている。
それから月日がたち、おばあちゃんは天国へ行ってしまったけれど、親戚は変わらず夏に集まる。
いとこ達に子どもが生まれ、今度は私にもお小遣いをあげる存在ができた。
そんなタイミングでこの黄色いぽち袋に出会った。
せっかくだからと準備して、夏を楽しみに待っていたら、昨今の事情で直接会うことがかなわなくなってしまった。
ぽち袋は3回目の夏が過ぎた今でも私の手元にある。
「あなたたちに会えてうれしいよ」といつか直接手渡す日が来ることを願いながら。