他部署の応援で駆り出された休日出勤の代休で、平日の午後に休みを取った。
昼のチャイムが鳴り、わたしは鞄を持って席を立つ。
「お先に失礼します」
「ああ……お疲れ様でした」
年末に向かうこの時期は忙しく、昼休みに入っても、まわりは仕事の手を止めようとしない。
「休日出勤の代休はちゃんと取るように」と上司からうるさく言われなければ、わたしだってそうしたい。ほんの少しの罪悪感。でも外に出て、柔らかな冬の日差しを浴びたとたん、罪悪感は解放感へと変わっていった。
よく晴れた、穏やかな日だった。職場のある日本橋の街を歩きながら、いつもと違う午後に気持ちが浮き立つ。忙しい最中の、せっかくの半休なのだ。今日は、なにか特別なことをしてみたい。
まずは、お昼ごはん。美味しくて人気だけど、昼は混んで敬遠してしまうレストランへ行くことにした。すこし良いランチコースをいただき、満たされた気持ちで店を出る。さあ、次はなにをしよう。
ふと、「はいばら」のお店の前で足が止まった。高校時代、茶道部に入っていて、はいばらの懐紙を使うのが習わしだった。無地で季節を問わず使えるから、というのが理由だったと思う。厚みと張りのあるはいばらの懐紙は、糊のきいた清潔なシャツを連想させた。手にすると、自然と背筋が伸びて好きだった。
そうだ、久しぶりにお茶を点てよう。
はいばらで懐紙を、近くのデパートで抹茶を買って、急いで地下鉄に乗る。近所のお気に入りの和菓子店で練り切りを買って、家へ向かう。ますます柔らかくなった午後の日差しを受けながら、今日は外で点ててみよう、と思った。ひとり野点は初めてだ。
家に帰り、湯を沸かしてポットに入れ、トートバックに簡単な茶道具とお菓子を詰める。近くの公園へ向かい、広場の片隅にあるテーブルに風呂敷を広げて、茶碗やお菓子をならべた。木枯らし、と名付けられた練り切りは、うっすらと霜が降りたような白っぽい餡に、小さく色鮮やかな落ち葉が散っている。懐紙にのせると、そこだけ冬が深まった気がした。
茶碗に抹茶を入れて、そっと湯を注ぐ。心を静めて茶筅を手に取り、お茶を点てる。泡立ったお茶と懐紙のうえの木枯らしは、冬木立のさっぱりとした公園によく似合った。冬は冷めるのが早い。作法を無視して最初にお茶を飲む。温かく、ほろ苦い味が身体じゅうに広がる。懐紙を手に取り、木枯らしを楊枝で切って口へ運ぶ。なめらかな舌触りと優しい餡の甘さ。余韻が残っているうちに、もう一服、点てる。茶碗のぬくもりを両手でつつみこむようにお茶を飲み、口の中の甘さと苦さを楽しむ。空は高く、からからと落ち葉が舞う。柔らかな日差しは少しずつ弱くなり、影が長くなる。こんなふうに冬を味わうのは初めてだった。
いつしか穏やかな午後は終わり、夕刻へと移っていった。
わたしは道具を片付けながら、心が安らぐのを感じていた。特別なこと、は身近にあった。またやろう。懐紙に季節をのせて、お茶を点てよう。次は梅をのせようか。それとも雪結晶にしようか。
ぴゅう、と木枯らしが吹いた。