桜の季節の少し前に会社を早期退職した。36年ぶりに地元へ戻り、両親が亡くなった後は空き家になっていた実家で新しい生活を始めた。
古い一軒家は、外観も中身もかなり傷んでいる。長年のサラリーマン生活と日々の不摂生で、あちこちガタが来ている私と同じだ。
くたびれた家でくたびれたおじさんの生活が始まった。
破裂した給水管、今にも抜けそうな床、異臭を放つ古いエアコン……。あちこち修理を依頼する。破れたままの網戸、伸び放題の雑草、庭木に出来た蜂の巣……。足しげくホームセンターに通い、なんとか住める状態にした。
遅々として進まないのは、家の中に溢れる物の片付けだ。物持ちが良かった両親が溜め込んだあれこれが、今もそのままの状態で残っている。
箪笥や押し入れには古着や着物がぎっしり。キッチンの棚には大量の古い食器や調理器具が溢れんばかりに。物置に収まりきらず、座敷にも積まれている段ボールやカラーボックスの中からは、昔の年賀状、日本人形、数十年に渡って母が書き溜めた家計簿など、いかにも捨てづらいものが次々に出てくる。
だが両親だけを責めるわけにはいかない。海外赴任が終わるたび記念に貰うのはいいが、保管場所に困った私が実家に送りつけ続けてきた、大量の置物類が押し入れから出てきた。段ボール箱の中から、船の模型や掛け軸に挟まれたアオザイ姿のベトナム人形が、ちょっと恨めし気に私を見ている。
優柔不断な私は溜息をつくばかりで、断捨離は一向に進展しない。
思えばこの一年、新しい生活に慣れるのに精一杯で、季節の移り変わりを感じ、楽しむ余裕など無かった。唯一それらしいことと言えば、春先に庭の金柑の実をもいで果実酒を漬けたことくらいだろうか。
これまで積極的に考えたことはなかったが、来年は四季折々の風景や香りをもっと楽しんで暮らしたいと思う。庭に花でも植えよう、見た目が派手で香りが強いのがいいな、と研究中だ。
いつも読書や書き物をしている居間にも、季節を感じさせる、なにか華やかなものを飾りたくなって、榛原の千代紙カレンダーを購入した。お洒落で上品なデザインは、殺風景な部屋を明るくしてくれる。柄にもなく「季節を楽しんで……」と殊勝な心掛けの私を、応援してくれる気がする。
かつてこの部屋の壁には、近所の植木屋さんが毎年律儀に届けてくれる日本庭園のカレンダーがあった。いつも似たような写真ばかりで面白味は無かったが、それでも元旦の朝、父がべりっと表紙をめくり一月のカレンダーが現れると、「新しい年が始まった」と清々しい気持ちになったのを覚えている。
私は同じ場所に千代紙カレンダーを掛けた。元旦の朝、表紙をめくるのが今から楽しみだ。