BRAND STORY01

粋な江戸っ子をうならせた、
はいばらの雁皮紙(がんぴし)

目次

だれもが驚く、きめ細やかで美しい和紙を取り揃えたい

ときは江戸時代。徳川家康によって整備され、賑わいを見せていた日本橋に、熱い想いを胸に秘めた、ひとりの若者がいました。

若者の名は、後に「榛原(はいばら)」の創業者となる、中村佐助。
「須原屋」という書物問屋での奉公を終えた佐助は、1806年(文化三年)、日本橋の地で和紙や小間物、書物を扱う店を開きます。

紙に注目した佐助の読みは、ピタリと的中しました。
政治が安定し、町人文化が花開いた江戸時代、紙のニーズは急増したのです。
手紙、袋物、うちわなどの日用品、障子、襖紙などの建具、浮世絵、洒落本、かわら版などの出版物、千代紙、凧、カルタなどの玩具に至るまで、紙は人々の生活を豊かにし、用途はどんどん広がりました。

「粋」を好む江戸っ子たちは、暮らしに欠かせない紙に、質の良さや美しさを求めるようになりました。
そこで佐助は、豆州熱海産の良質な雁皮植物を原料とした、極上の「雁皮紙」を取り揃えました。

榛原の雁皮紙は、「今までの紙にはない薄さだ!」「なんという滑らかな筆あたり」「美しい文字が書ける!」と、流行に敏感な江戸の人々に大好評。
こうして「雁皮紙榛原」の名は、江戸中に広まり、一大ブームを巻き起こしたのです。

創業当時の「雁皮紙」ののれんをかかげた榛原を描いたもの。扇子や襖紙など、当時の商品名が並んでいる。

はいばら×江戸名物となった雁皮紙(がんぴし)

文字を書くために生まれてきた―――それが「雁皮紙」。

「雁皮紙」って、どんな紙? 何に使われているの?

雁皮紙とは、『雁皮(がんぴ)』というジンチョウゲ科の木の皮から作られる、繊細できめ細かく、光沢のある和紙です。

筆あたりが柔らかく、なめらかで、まさに〝文字を書くために生まれてきた紙″といえます。
紙の色は、蜻蛉の羽をすかしたような半透明のクリーム色。変色もしにくく、永久保存できるほどの強靭な耐久性があり、平安時代から絵巻物や公家風のかな書き文書、仏教経典などに使われていました。古い時代に記された雁皮紙は、今も貴重な文化財として博物館などに残されています。
一般的な和紙の原料である「楮(こうぞ)」の木と比べると、雁皮は生産量が少なく、希少価値が高いのも大きな特徴です。

江戸名物”と歌われるほどの雁皮紙ブーム。多くのお客さんが店に詰めかけた。

インターネットもSNSもない江戸時代に、雁皮紙が広まった理由とは

当時、江戸で流行していた、狂歌(五七五七七で詠まれた、社会風刺やユーモア、パロディを中心とする歌)の中で『江戸名物』として雁皮紙が取り上げられたことや、多くの文人墨客が雁皮紙を好んで使っていたことが、雁皮紙ブームのきっかけになりました。
榛原の店は連日、町人から富裕層まで、多くのお客さんでにぎわい、雁皮紙に木版摺りでお洒落な装飾やデザインを施した千代紙、うちわ、便箋などの和小物を買い求めたといいます。また、一般の人だけでなく、将軍・大名家からオーダーを受けて「御留版」と呼ばれる家独自の紋様を、榛原が千代紙で製作していたという記録も残っています。


江戸っ子たちの夏の風物詩、はいばらの新作うちわ

榛原木版団扇絵
柴田是真「なでしこ」聚玉文庫所蔵

江戸っ子たちは、うちわなどの和紙小物をファッション感覚で楽しんだ

江戸時代、うちわといえば、火を起こしたり、煽いだりするための生活用品としてだけでなく、夕涼みや盆踊りのアイテムとしても愛用されていました。
毎年4月14日の「うちは初め」には、新作デザインのうちわを求め、多くの人々が榛原のお店にやってきました。『榛原うちわは初夏流行の魁(さきがけ)』と言われるほど、江戸っ子たちの夏の風物詩になっていたといいます。
木版刷りの美しいデザインをあしらった「榛原うちわ」を浴衣の帯に差してアクセントにしたり、優雅に花火見物を楽しんだり、当時の人たちはうちわなどの和紙小物をファッション感覚で楽しんでいたようです。

はいばらうちわのデザインを手がけた、当代一流の画家たち

榛原のうちわの原画を担当していたのは、一流の画家や芸術家たち。江戸時代には、酒井抱一(さかい・ほういつ)、椿椿山(つばき・ちんざん)、渡辺崋山(わたなべ・かざん)。幕末~明治期には、川鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)、柴田是真(しばた・ぜしん)、川端玉章(かわばた・ぎょくしょう)。大正期以降は川瀬巴水(かわせ・はすい)、伊東深水(いとう・しんすい)など、時代を象徴するアーティストたちの名前がずらりと並びます。
暮らしに身近なうちわと、洗練されたアート作品の融合。榛原は「生活の中で芸術を愉しむ」喜びを、昔も今も提供し続けています。

正岡子規が詠んだ、はいばらうちわの「焼きじるし」

「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」などの句で知られる、俳人・歌人の正岡子規。
1898年(明治31年)に、榛原のうちわについて、こんな句を詠んでいます。

『鶏が鳴く あつまの江戸の はい原の 焼きじるしある 絹団扇かも』 

(「定本子規歌集」より)

榛原うちわには、持ち手となる竹の部分に「はい原」という焼き印が入っています。
店内では、現在も一本一本、店員たちが心をこめて、うちわに焼き印を入れています。

うちわの持ち手となる竹の部分に、一本一本「はい原」という焼き印を入れています。

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この記事を書いた人

小川 こころ

文筆家、ライター、文章講師。「文章スタジオ東京青猫ワークス」代表。

人やものが織りなす物語やかけがえのない瞬間を、ことばや文章で伝えることに情熱を注ぐ。手書きが好き、紙モノ大好き。新聞記者やコピーライターを経て現職。まなびのマーケット「ストアカ」にて4年連続アワード受賞。著書は『ゼロから始める文章教室 読み手に伝わる、気持ちを動かす』(ナツメ社)。

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海を越え、ヨーロッパに渡った、榛原の和紙

はいばら
ブランドストーリー

粋な江戸っ子をうならせた、
はいばらの雁皮紙(がんぴし)

海を越え、ヨーロッパに渡った、榛原の和紙

一流の画家との交流を深め、
『はいばら デザイン』の礎を作る

手紙文化を日常に。郵便の始まりを支えた、
はいばら製の官製はがき

文豪たちが語る『はいばら』
〜心ときめく千代紙や便箋

宮内庁や歴代宰相、ロック・スター。
大切なことは、すべてお客様に教えて いただいた

アポロ11号で宇宙にいった、
はいばらの計測記録紙

榛原デザイン復刻で、 和紙の新たな魅力を現代へ

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和紙ならではのお誂え品

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