私たちがふだん、当たり前のように使っている「官製はがき」。
じつは、日本でいち早く「官製はがき」を製造したのは、榛原(はいばら)だったことを知っていますか?
郵便の創業期を記した『郵便切手類沿革志』(郵政研究所付属資料館所蔵)や、『公文禄』(国立公文書館所蔵)などの資料をひも解くと、日本の「官製はがき」が発行された経緯をたどることができます。
日本で郵便事業がスタートしたのは、1871(明治4)年。
それから2年後の1873(明治6)年12月、日本で最初の「官製はがき」が発行されます。この「官製はがき」は、薄手の紙を縦長に二つ折りにし、封をせずにそのまま送るスタイルで、「二つ折りはがき」と呼ばれました。
「二つ折りはがき」には、発行時期により「紅枠はがき」「脇つきはがき」「脇なしはがき」の3タイプがあります。榛原は、「脇つきはがき」と「脇なしはがき」の製造を担っていました。
携帯電話どころか、メールもSNSもない時代。便箋よりも手軽に送れて、使い勝手のよいはがきは、人々の暮らしに急速に広まり、発行からわずか1年半で、月に30万枚以上も売り上げるようになりました。
当時、専用の「年賀はがき」はまだ販売されていなかったので、榛原製の「官製はがき」は、年賀状としても活用されていたようです。
1875(明治8)年、二つ折りはがきは廃止となり、欧米に倣い、現在のようなカードタイプの官製はがきの発行へと転換しました。
榛原がたずさわったのは、「官製はがき」の製造だけではありません。1874(明治7)年に「郵便封皮」(料額印面が印刷された封筒)や「飛信逓送切手」(非常時の至急便に用いられる、陸軍などが利用する切手)の製造、1880(明治13)年頃には「郵券」(郵便切手)の印刷・加工も任されていたと伝わります。
日本の郵便事業の黎明期を支えた、榛原の伝統と技術は、現在も脈々と受け継がれています。
書き心地がよく、美しいデザインのレターセットやはがき、一筆箋、カードなどを取り揃え、人と人の心をつなぐ、かけがえのない手紙文化を提案しています。
書いて楽しい、もらって嬉しい、手書きの言葉。
あなたは、だれに、どんな言葉を綴りますか?
はいばら×巻紙からスタートした手紙文化
機能性とデザイン性を兼ねそなえた「蛇腹便箋」。発想のヒントになったのは・・・
郵政制度がスタートするまで、「巻紙」が使われていたって本当?
本当です。いま、手書きで手紙を書くためのアイテムといえば、便箋やはがきを思い浮かべますが、これらは明治期の郵便事業の開始によって生まれたもの。それまでの手紙は、紙をくるくると巻いた「巻紙」に、筆を用いて文字を綴るのが当たり前でした。
榛原では創業時から現在まで、和紙の巻紙を取り扱っています。シンプルなものだけでなく、時代に合わせてさまざまなバリエーションの巻紙が登場しました。
たとえば、吉田茂元首相の提案で生まれた、五色の美しい和紙を貼り合わせて作る「五雲箋」、木版摺りでデザインを施した「絵半切れ」とよばれる巻紙など。(*「絵半切れ」は現在、取り扱っていません)
それらの巻紙や江戸末期から扱っていた「罫紙」を、郵政制度に合わせてサイズを整えたのが、便箋やはがきの始まりです。
また、榛原の「蛇腹便箋」は、伝統的な巻紙と経典、短冊、色紙用の折本をヒントに生まれたもの。
罫紙を蛇腹状に折りたたみ、折り目にミシン目をつけた、ユニークな便箋です。手紙の長さに応じて便箋を切り取って使える利便性と、榛原ならではのデザインが施された美しさをあわせもち、多くのお客様に愛されています。