「“紙屋”は、紙の提供はできますが、使い方は知りません。お客様が100人いれば、紙の使い方も100通りあります。初めて店頭に立った日から、ひいきにしてくださるお客様、一人一人にお話をうかがい、どのような紙を求めているのか、どのような使い方をするのかを教えていただきました」。
――19歳で榛原(はいばら)の丁稚となり、60年以上に渡り、番頭として第一線でお客様と接してきた、元支配人・星野昌弘の言葉です。
榛原で働きはじめたのは、昭和33年。当時、日本橋はまだ戦後の空気を色濃く残していました。
大きなビルは軒並み接収され、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の住居やホテルとして利用されていたのです。
榛原の店にも、連日のように将校の妻たちが来店し、アメリカの住居の装飾用にと、襖紙やついたて等を購入していきました。また、英国大使夫妻がおみやげ用に、たくさんの和紙と筆を購入されたこともありました。
日本人のお得意様は、お寺や料理屋さん、骨董品屋さん、お茶や踊りの御家元など。星野はお客様の目的に応じて、各種の和紙を取り揃え、届けて回りました。
宮内省から発注いただいた東宮御所のお部屋の壁紙を納品したり、歴代宰相の名入れ便箋を作ったり、書や詩を書くための画仙紙や色紙などをご自宅にお届けしたこともありました。
さまざまなお客様のなかで、とくに印象に残っているのは、当時、イギリスだけでなく世界中で大人気のロックバンド「クイーン」のリードボーカル、フレディ・マーキュリーが来店されたときのこと。
日本の芸能プロダクションのスタッフとともに訪れ、「イギリスの自宅に日本風の部屋をつくるため、壁紙を選びに来た」といいます。
フレディの服装は、スニーカーに白いTシャツ、ジーパン。最初は、どのように接客すべきか迷った星野でしたが、壁紙の見本を真剣に眺めるフレディの姿を見て、星野は「和紙への造詣が深く、日本文化に親しみをもっていることが伝わってきた」と当時をふり返ります。
その後、フレディが滞在するホテルのVIPルームに足を運び、見本帳をお見せしました。紅茶とスコーンがふるまわれ、2時間ほど、じっくり話し合ったといいます。
そのようなやりとりを通して、フレディは「和紙」と「金箔」という、日本の伝統的な組み合わせを選び、淡いピンク(雪肌色)の鳥の子紙(雁皮を原料とする良質な和紙)に金の箔押し加工を施した壁紙をお求めになりました。
「紙は、国や人種を越えて、人の心を運び、暮らしを豊かにします。どんな時代になっても、紙にしかできないことがきっとある。私はそう信じています」。
そう語る星野は、榛原の名誉顧問となった現在も、ごひいきのお得意様をお迎えし、接客の仕事を続けています。
はいばら×和紙が生み出すコミュニケーション
お客様のかけがえのない日常に、粋で洒脱な和紙のある暮らしを届けたい
元支配人・星野が考える、お客様におすすめしたい、和紙の上手な使い方
「自分の好みや伝えたい思いを、和紙で表現するのはいかがでしょう」と、星野は提案します。
たとえば、好きなデザインの千代紙を額装して、部屋のインテリアにしたり、浴衣に合わせてうちわを選んだり。ちょっとした贈り物やお返しをするときに、相手のイメージにぴったりの便箋を使うのもおすすめです。
「和紙のやわらかな質感と美しいデザインに、温かい気持ちが生まれます。私もお世話になったお客様に、和紙の便箋を使ってお礼状をしたためています。ほんの一言、手書きのことばを添えるだけで、相手への敬意や細やかな心が伝わると思います」。