榛原(はいばら)の歴史には、「日本でいち早く」というエピソードがたくさん登場します。
「日本でいち早く庶民に向けて雁皮(がんぴ)紙を販売した」
「日本でいち早くクリスマスカードを取り扱った」
「日本でいち早く官製はがきを製造した」
今回紹介するのは、「日本でいち早く、計測記録紙の製造に成功した」エピソードです。
「計測記録紙」とは、温度、湿度、圧力、流量、化学成分、水位、風向、風速など、データの計測値を記録する用紙。
現代では、鉄鋼、化学、電力、ガス、自動車、製紙、製薬、食品、ITといった幅広い分野で使われています。また、環境保護における「大気汚染測定用紙」、 気象観測のための「温湿度計用紙」、医療機器に使用する「心電図用紙」、「脳波計用紙」、「分娩監視測定用紙」など、私たちの生活に身近な場面でも必要とされています。
なぜ、榛原が記録紙の開発に関わることになったのでしょう。
その理由は、江戸の創業期にさかのぼります。江戸期より榛原は、多くの絵師たちと和紙製品を生み出してきました。この職人たちの罫引き技術(正確に下絵を作るために肉筆で描いた、方眼用紙のような線のこと)を発展させたのが、記録紙の原型になったといわれています。
1919(大正8)年、それまで海外からの輸入に頼っていた計測記録紙の製造に、榛原は日本でいち早く成功。
さらに1966(昭和41)年、初めて「折畳み式記録紙」の自動折生産方式の開発に成功しました。この「折畳み式記録紙」は、諸外国にも採用され、現在も世界における記録計の主流になっています。
そして1969(昭和44)年。榛原の作った高精度の計測記録紙は、湿度の変化にも収縮しない点が決め手となり、アポロ11号のデータ記録用紙として採用され、はるか彼方の宇宙へ。世界中の人たちが注目する中、人類発の月面着陸を果たしました。
榛原の記録紙は、月面から持ち帰った岩石を分析する計測器のデータ用紙としても大活躍。人類の歴史に新たな1ページを綴る、大きな仕事を成し遂げました。
はいばら×蛇腹便箋が生まれた理由
昭和期の榛原が生み出した、ユニークで便利な大ヒット商品
一筆箋にも長文の手紙にも使える、長~い便箋
折り目ごとにミシン目が入っており、メッセージを書き終わったところでピリリッと切り取れる、ユニークな便箋といえば・・・・・・
そう、昭和期の榛原を語る上で欠かせない、記録計測紙に続く大ヒット商品、「蛇腹便箋」です。
「蛇腹便箋」の発想のもととなったのは、榛原が創業期から取り扱っていた手紙用の「巻紙」や、和紙や書物、経本を正確に「折りたたむ技術」です。
しかし、1981(昭和56)年に、初めて「蛇腹便箋」を発売した当時、今のような人気商品ではありませんでした。
当時のようすを、榛原の吉松博取締役はこう振り返ります。
「おもしろいアイディアだ、と意気込んで開発しましたが、最初はなかなか売れず、苦戦しました。しかし、少しずつ、取引のあった企業から注目されはじめ、『使い勝手のよい、おもしろい便箋だね』『わが社の宣伝ツールや記念品として使いたい』と声がかかるようになったのです」。
こうして「蛇腹便箋」は、階段を駆け上がるように、榛原の人気商品へと進化していきました。
平成の後半に入ると、印刷加工技術をより精錬させ、それまで柄を入れることができなかった便箋に、代々受け継がれてきた榛原デザインを印刷することが可能となり、機能性やデザイン性を備えた、洗練された商品が次々に生まれました。
このような経緯で誕生した、新しい蛇腹便箋シリーズは、2012(平成24)年グッドデザイン賞、第19回日本文具大賞デザイン部門優秀賞などを受賞しています。
また、さまざまな場面でお使いいただけるよう、「ちいさい蛇腹便箋」「横書き蛇腹便箋」などのバリエーションも増え、蛇腹便箋の可能性はどんどん広がっています。
現在では、榛原を代表する商品となった「蛇腹便箋」。
一筆箋のような、ちょっとしたメッセージはもちろん、長文で綴る手紙にも。
大切な人とのコミュニケーションがより豊かに、より味わい深いものになりますように、これからも、みなさまの暮らしに身近な存在でいたいと思っています。