文明開化が花開いた幕末~明治時代、榛原(はいばら)の経営を引き継いだ三代目・榛原直次郎(中村平三郎)は、榛原の装飾・デザイン技術が新たな時代の潮流に乗ったことを、身をもって感じていました。
欧米を中心に国際化が進んだ19世紀末、各国が文化の繁栄を競い合う万国博覧会が盛んに開催されていました。その華やかな国際舞台に、日本の美術を代表して、榛原がデザインを手がけた千代紙をはじめ、うちわ、襖紙など、榛原製の各種和紙製品が出品されることになったのです。
1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会、1878年(明治11年)のパリ万国博覧会、1879年(明治12年)のシドニー万国博覧会、1888年(明治21年)のバルセロナ万国博覧会など、数多くの博覧会に出品された榛原製の品々は、世界各国で大絶賛。
風雅を極めた「ジャポニズム」として大きな影響を与え、数々の褒章を授与しました。
こうしてヨーロッパに渡った榛原製の装飾和紙は、世界の産業やデザインの発展に寄与します。イギリスの「ビクトリア&アルバート博物館」、スコットランドの「グラスゴーミュージアム」、フランスの「パリ装飾芸術美術館」など、世界各国のミュージアムに榛原デザインが保存されています。
一方、国内では文明開化の流れに乗り、西洋紙の輸入・販売をいち早くスタート。明治期の榛原の看板には「西洋紙品々」という文字が大きく記されています。
古いものと新しいもの、伝統と革新が共存する、榛原のタイムレスな視点は、この時代から、脈々と受け継がれてきたのです。
はいばら×西洋美術に影響をあたえたジャポニズム
西洋のアーティストたちが夢中になった、日本の美
「ジャポニズム」とは?
19世紀後半、数々の万国博覧会に日本が参加したことをきっかけに、ヨーロッパでは浮世絵や日本の工芸品などが注目されるようになります。
西洋のアーティストたちは日本独自の文化や作品に熱狂し、さまざまなインスピレーションを得て、日本の造形や美を意識した絵画やデザインを数多く生み出します。このヨーロッパにおける爆発的な日本ブームを、「ジャポニズム」(日本様式)といいます。
西洋の作家や芸術家は、日本文化をどのように作品に取り入れた?
「ジャポニズム」は、印象派の画家たちに、大きな影響を与えました。
フランス印象派の画家・マネが描いた《ラ・ジャポネーズ》(ボストン美術館所蔵)には、「見返り美人」を思わせる、あでやかな着物をまとった妻カミーユの背景に、15点もの団扇が描かれています。画家・ゴッホも、《タンギー爺さん》(ロダン美術館所蔵)の背景に、色とりどりの浮世絵版画をちりばめています。
また、「ジャポニズム」は、画家だけでなく建築家にも大きな影響を及ぼしました。
モダン・デザインの旗手、チャールズ・レニー・マッキントッシュは、スコットランド・グラスゴーの博物館に渡った千代紙などの日本美術に関心を寄せたと言われる一人。彼が手がけたインテリアや家具のデザインには、日本的な文様や趣が数多く表れています。