「日本で紙が漉き始められてから1350年。永い歳月のあいだに和紙が日本の政治や世界の文化発展にいかに貢献したかは周知のことである。――私は紙と共に暮らして五十余年、紙に対する憧れは人一倍深い」。
榛原(はいばら)の四代目社長・榛原直次郎(中村直次郎)が、著書『和紙雑考』(昭和35年)の冒頭に記した文章です。
四代目・直次郎はほかにも、雁皮紙(がんぴし)を主軸にした和紙舗「榛原」の由来を綴った『雁皮紙と玳舫』(大正15年)、和紙のコレクションを解説した『聚玉紙集』(昭和8年)、唐(現在の中国)から伝わった襖紙の歴史や製作方法、デザインを伝える『随筆からかみ』(昭和38年)など、和紙に関する著作を4冊刊行。
これらの文献は、紙文化の発展や継承に大きく寄与しました。
創業から200余年。
拠点としていた日本橋2丁目北地区の再開発にともない、2015(平成27)年に日本橋・中央通り沿いに榛原の本店を移転。新築した店内には、令和になった現在も変わらず、看板商品の雁皮紙、彩り豊かな木版摺りの便箋やはがき、金封、千代紙などの和紙製品が並んでいます。
現在、七代目社長にあたる中村達男は、江戸期から現代にかけて製作されたオリジナル図案を使用した商品開発に力を入れ、現代に和紙の魅力を伝えています。
その根底には、絵師たちとつくり上げた伝統の図案を守り、職人の手仕事を大切にする、歴代当主たちの創業以来の熱い想いが込められています。
長い歴史を通して伝えられてきた、ものづくりへの誇りと心意気。
生活必需品や日々の暮らしに寄り添い、気持ちを伝える和紙文化。
震災や戦争などの困難な時代を経て、技術や想いを継承し、磨きあげてきた「雁皮紙はいばら」ののれんは、世代や国境を越え、今日もたくさんのお客様をお迎えしています。
はいばら×榛原直次郎(中村直次郎)が記した『和紙雑考』
紙にまつわる起源、文化、原料、種類、風習などの雑学を収集
「瓦版」や「うちわ売り」「恋文」など345項目
四代目当主・榛原直次郎(中村直次郎)は、明治~大正~昭和という、激動の時代を生き、榛原ののれんと日本の紙文化を守ってきました。
著書『和紙雑考』は、四代目が晩年、病床に伏せてもなお、紙への熱い情熱を注ぎ、古事記や万葉集、古今和歌集など、さまざまな文献をもとに執筆を続け、未完成として発行したものです。
本書の前書きには、このような思いが綴られています。
「私が紙から得た、見たり聞いたりした学問や経験をそのまま棄てゝしまう気にもなれず、古い記憶をたどって小冊子にまとめた。いつの日か、どこかで、紙を研究する若い人に、資料の一端にでもなれば幸いこの上ありません」。
目次を見ると、「紙の起源」「紙と日本文化」から始まり、紙の原料や紙の用途、紙の種類、紙製品、紙にまつわる言葉、慣習、紙にちなんだ地名など、幅広いジャンルにわたって紙の知識がわかりやすくまとめられています。
では、どのような文章が掲載されていたのか、中身をいくつか紹介しましょう。
瓦版
「徳川時代、都会に起こった事件をいち早く知らせるため、瓦に文面を彫って紙に刷り、町で売って歩いた。おおむね半紙に墨一度刷りのものであった」。
うちわ売り
「元禄時代、男女問わずうちわ模様が流行し、婦人の衣装、携帯品、装飾品などもうちわの図案によるものが多く、武士の刃剣の鍔(つば)にもうちわ模様が見かけられた。うちわ模様の流行から、自然とうちわの需要も多く、(中略)江戸の町ではうちわ売りの姿も見られるようになり、若衆が粋な姿で流行役者の似顔絵や定款を印刷したうちわを売って歩いた。これが錦絵に描かれたうちわ売りである」。
恋文
「万葉集などには恋歌が多かった。おおむね歌の意で互いに心を語りあった。徳川時代には普通の書状をかわしたようだ。外国では、St. Valentine’s Day(バレンタインデイ)の2月14日は、恋仲同士が恋文の取りかわしをするという風習がある」。
紙に強い憧れをもち、国内だけでなく海外にも目を向けながら、紙文化の研究に力を注いだ四代目。
「自分にとって、一生のうちのさまざまな事件―喜怒哀楽のすべてが紙によって解決されてきた」と語っているように、人の暮らしと紙は、切っても切れない、深い縁でつながっていることが、本書に収められた345の項目から伝わってきます。