「生活の中に、優れた芸術を取り入れる」。
若いころから日本美術の研究と保存に熱心だった三代目当主・榛原直次郎(中村平三郎)は、明治から大正にかけて、当代きっての画家たちと親しく交流していました。
三代目の心に灯っていたのは、「人の生活と芸術の世界を結ぶ」という強い信念です。その思いに突き動かされるように、芸術家たちに、うちわや扇子、便せんなどの榛原製品の原画を依頼したり、彼らの活動や暮らしをサポートしたりすることで、現代につながる「榛原デザイン」の土台を築いていきました。
明治日本画の巨匠、川端玉章がデザインした千代紙十種は、繊細な描写とダイナミックな構図、鮮やかな色使いが特徴。また、スタイリッシュで瀟洒な魅力を放つ柴田是眞、華やかで絢爛な表現力をもつ河鍋暁斎も数多くの図案を残し、現在も榛原ブランドの代表的なデザインとして受け継がれています。
明治21年には、明治新宮殿における天井張、壁紙などの室内装飾にたずさわり、有栖川宮熾仁親王殿下より、堂号である「聚玉(しゅうぎょく)」の御染筆を賜りました。
「聚玉(しゅうぎょく)」とは、「はいばらの品は玉を聚(あつ)めたるが如し」を意味します。
揮毫は徳川宗家16代目当主・徳川家達公によるものです。
現在、榛原には「聚玉文庫」という名で、榛原デザインや全国の和紙にまつわる貴重な資料が数多く保存されています。コレクションをまとめた四代目当主・榛原直次郎(中村直次郎)は、大正ロマンを代表する画家・竹久夢二との親交も深く、おしゃれでモダンな夢二デザインの和紙小物は、女性たちの注目を集め、大人気に。現在も「レトロでかわいい」「魅力的」と多くのお客様に愛されています。
はいばら×聚玉文庫
日本の美しい紙文化を次世代へ。貴重な和紙のコレクション
「聚玉文庫」のコレクションとは?
「聚玉文庫」は、4代目当主・榛原直次郎(中村直次郎)が「日本の美しい紙文化を後世に残したい」という強い思いから集積した、貴重な和紙のコレクション。
江戸、明治、大正、期を中心とする摺り物、画稿、版木、千代紙、書類や原稿などの歴史的な文献資料を所蔵しています。一部の工芸品や資料は、震災や戦災によって失ってしまいましたが、古きものを現代に、そして次の時代へと受け継ぐため、調査・保存活動に力を入れています。
はいばら×一流の絵師たち
日常をもっと豊かに。暮らしのなかで「芸術」を楽しむ。
榛原デザインを支えた、代表的な四人の画家
「使い捨てではない、普遍的な美をそなえたものづくり」――これが、榛原のものづくりの信念です。
団扇や千代紙、便箋、絵封筒、絵葉書など、榛原製品の図案には、当時、はいばらの当主と親交の深かった、一流の絵師たちが描いたデザインが数多く使われています。
榛原のものづくりを支えた、代表的な作家たちを紹介します。
河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)
幕末から明治期にかけて活躍した絵師。ダイナミックで躍動感のある筆づかい、精緻な描きこみ、多彩な表現力で唯一無二の暁斎ワールドを作り上げました。狩野派の流れをくみながらも他流派や浮世絵、仏画、西洋画などの技法を研究し、積極的に取り入れるなど、生涯を通じてあらゆる表現を探究し続けました。
柴田是真(しばた・ぜしん)
幕末から明治期にかけて活躍した漆芸家であり画家。是真の描く絵画の魅力は、小粋で洒脱な題材やユーモラスな味わいにあります。絵師として高い評価を得ていましたが、機知に富むデザインや卓越した技巧が生み出す漆工技法にも国内外から注目が集まり、蒔絵師としても多くのファンを獲得しました。
川端玉章(かわばた・ぎょくしょう)
明治期に活躍した日本画家。京都円山派の伝統的な技法に西洋の画法を積極的に取り入れ、巧みな筆さばきや写実性を活かした、奥行の感じられる画風が特徴です。山水や花鳥をテーマにした作品が多く、「円山派最後の巨匠」と評されています。東京美術学校の教授を務め、後進の育成にも力を入れました。
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)
明治から大正期にかけて活躍した、大正ロマンを代表する画家。ほかにも詩人、随筆家、歌人など、さまざまな顔があります。夢二が生み出す抒情的でみずみずしい世界は、当時の女性たちのあいだで大流行。書籍の装丁、広告、雑貨などのデザインも手がけ、日本の近代グラフィック・デザインの草分け的存在として、多くのアーティストに影響をあたえました。
榛原のデザイナーであると同時に、作品制作に必要な和紙を求める顧客でもあった夢二。当時の当主、四代目榛原直次郎とは親交が深く、夢二がヨーロッパに旅立つときに援助をしたという話が伝わっています。